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2005年4月の日記
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4月2日(土)の夜
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この一週間は論文やらなんやらで忙しくしていました。1日15時間机に向かった日もあります。睡眠時間も平均で3時間くらい。最近はたるんだ日々を送っていたので、久しぶりに「目覚めた」という感じです。この調子で行きたいものです。
ところで今回初めてLaTexで論文を書きました。これまでもぼちぼち使っていたのですが、論文などちゃんとした体裁の文書を書いたことはありませんでした。試行錯誤しながらですが、なかなか満足のいく「見栄え」に。参考文献もBibTexを使って作りました。これまでWordとEndnoteを使ってやっていたのですが、それよりもよほどサクサク行く感じで、ちょうどSPSSからSTATAに変わったようなもんです。しかしEndnoteに入っている文献リストは全くの無駄になったので少し残念です。またもちろんTexで書く分にはスペルチェックも無いので、結局Wordでパラグラフごとに書いては、貼り付けるという形でやりました。いまいち効率が良いんだかどうかわかりません。あと脚注の改行幅の変え方がわからなかったり、よくわからないことがまだまだ多いです。
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4月3日(日)の昼
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昨夜は日本人MBA+官庁派遣の人たちの勉強会に出席しました。講師は在外研究でUTに来ている日本の大学の先生。話の内容も興味深かったのですが、何よりもすごいと思ったのがプレゼンの仕方。スライドの作り方とかはもちろんのこと、議論の進め方が上手い。具体的には、何か問題を提出したとしてすぐに自分の考えを述べるのではなく、まずは聴衆の間での議論を促す。自分はその議論には直接は関与しない。徹底的に聞き側に徹して、この段階では相手の意見にはコメントしないし、「熱く」なることもない。そして議論が一通り収束するとそこで改めて自分の考えを簡潔にまとめたスライド(しかも前もって議論の中身を見越したかのような的を射た論点)を提示し、さらにプレゼンを進めるというやり方です。今の僕にはこれはできそうにもありません。僕の場合だと、まず問題を提出したとして聴衆に意見を聞く前に先に自分の意見を言いたいし、聴衆の意見を聞くにしても、思うことがあれば最後まで聞かずいちいちそのつど反論してしまいそうです。しかもきっと「熱く」なってしまうのでかなり早口になるでしょう。勉強になりました。
今日はこれから火曜日の「実証政治経済」の授業の発表の準備をしないといけません。データ分析自体はおそらくそんなに難しくもないのですが、データを集めるのにやたら時間と手間がかかりそうです。しかし実は僕はこの種の作業は好きです。頭を使わないので没頭できるし、終わった後に割と達成感が得られるからです。こんなことではいかんなあとも思うのですが。
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4月5日(火)の夜
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前の日記で書いた中西部政治学会の論文の締め切りの「火曜日の午前中」ですが、結局今日のことだったようです。夜になって続々とパネルで発表される論文が送られてきました。僕はというと先週の水曜日に「すいません、遅くなりました…」と書いてメールでディスカッサントに提出したのですが、どうやら余裕で一番乗りだったようです。送られてきたペーパーを見ると、中には本文と参考文献全て込みで7ページで、かつ図表類も一切無いレビュー論文のようなものもあり少し気が楽になりました。本番は9日(土)です。今からスライドを作りたいと思います。
ところで最近靴を買いました。以前の日記にも書いた「服装おっさん化計画」の一環として、実用性重視の落ち着いた革のコンフォートシューズを買うことに。店ももちろんFoot Lockerとかではなく、JC Pennyの靴売り場です。探しているとなかなか良さそうな靴を発見しました。ジャスコの1階のビジネス靴売り場で売っているようなやわらかいゴム底の楽チンそうな革靴です。値段もセールで48ドルと悪くありません。ということで購入。実際履き心地も今までの靴と比べても格段に良く、作りも思ったよりも丁寧です。Hush Puppiesというメーカーのもののようですが、日本でも売られているのかとふと思ってネットで調べてみました。すると日本語ウェブサイトがあり、驚いたことに売られている靴は全て15000円以上でした。日本でも中高年を中心に「履きやすい靴」として人気があるメーカーのようで、専門店まであるようです。アメリカと日本の価格差は、パタゴニア、グレゴリーなど結構あることは前から知っていましたが、価格3倍以上というのはさすがに知りません。今回は得した気分ですが、日本ではこのメーカーの靴はいくら良くてもバカらしくて買えないなあと思いました。
今日は"Positive Political Economy"のクラスのグループプロジェクトの発表でした。お題は「2002年下院選挙における現職得票率をカネで説明する」というもの。これまでの先行研究においては、現職選挙支出とか挑戦者選挙支出とかが説明変数として使われており、一般的な知見として「挑戦者選挙支出の方が現職選挙支出よりも選挙結果に大きな影響を与える」というものがありました。しかしこれに対しては「現職の選挙支出は選挙で勝つ可能性の影響を受けていて、選挙結果を一方的に説明するものではない」と同時性の指摘がなされ、この問題を解決すべく操作変数(instrumental variable)や同時方程式モデルが用いられてきました。まあこのプロジェクトでは別にこの分野の研究に貢献することが求められているわけではないので、まずは気楽に現職選挙支出と現職得票率をプロットしてみました。
見事な負の相関です。これをもし選挙支出→得票率で考えるなら、「現職はカネを使えば使うほど、得票率が減る」という明らかにおかしい解釈になってしまいます。むしろここは「現職は挑戦者の質などを考慮し、次の選挙が激しいものになると予想すればするほどカネを使う」と考えるのが適切です。つまり現職のカネの支出額に影響を与える選挙戦の激しさに関する現職の予測は、実際に得られた「得票率」と相関をもつため、統計上は支出と得票率の間に「ニセの負の相関」が見られるというわけです。現職選挙支出と挑戦者選挙支出とコントロール変数を独立変数、現職得票率を従属変数として含む回帰分析を行っても、同様に現職選挙支出の現職得票率への統計的に有意な影響が見られます。
さらに現職選挙支出のみならず、挑戦者選挙支出にも似たような問題があります。「挑戦者は現職に勝利する現実的な可能性があるときのみカネをたくさん使う」というもので、つまり挑戦者がカネを使った結果、現職の得票率が減るのではなく、現職の得票率が低いであろうと思ったから挑戦者はカネを使うのです。実際下の図でもわかるとおり、現職絶対有利の下院議員選挙においてはほとんどの挑戦者はあまりカネを使わず、一部の現実的に現職に勝てる可能性のある挑戦者のみがカネを選挙運動にたくさん使います。
で、問題はどうやったらこの問題を解決できるか。実は問題の根本的な解決には全然ならないし、誰にでも思いつくことなのですが、新しい変数を作ってみました。それは「現職と挑戦者の使ったカネの合計に占める現職の使ったカネの割合」というものです。つまりこの変数が意味するのは、「選挙で現職がいくらカネを使ったのかが重要なのではなく、現職が挑戦者に比べていくらカネを使ったのかが重要」ということです。例えば現職が100万ドル選挙運動に使ったとして、挑戦者が50万ドル使った場合(全体の選挙支出に占める現職のカネの割合、約67%)と、5万ドル使った場合(同、約95%)では、その効果は異なるはずです。で、実際にこの変数と現職得票率をプロットしてみると以下の図のようになります。
きれいな正の相関です。つまり「現職と挑戦者の使ったカネの合計に占める現職が使ったカネの割合が多いほど、現職得票率は上がる」ということです。実際、この変数とその他コントロール変数を含む回帰分析によって得られた係数値を見ると、現職と挑戦者の使ったカネの合計に占める現職が使ったカネの割合が1%上がるごとに、現職得票率が0.29%上がるということが言えます。ただし「現職と挑戦者が集める金の量は、それぞれ両者が勝てる確率の予測の影響を受ける」という可能性もあり、上でも少し書いたとおり同時性の問題は全く克服されてはいません。でもこのプロジェクトにあまり時間をかけるのもアレなので(データを集めるだけで10時間以上かかっている)、ここでやめておきました。
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4月6日(水)の夜
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今日韓国人の先輩と会うと、どうやら彼女は今学期で無事Ph.D.を取って修了できそうだとのこと。彼女は8年目です。といっても、彼女はトルコ政治を専攻していて、理論重視よりも地域研究系で、2年間現地でフィールドワークもしたりしていたのでこれくらいかかっても不思議ではありません。UT政治学部の平均くらいです。UT政治学部のメインは何と言っても地域研究+質的研究のラテンアメリカ政治で、この分野を専攻する人たちはたいがいフィールドワークに2年とかかけるのでこのくらいになります。僕のようなアメリカ政治をやっている人はもっと早いのが普通です。僕の学年でも多くのアメリカ政治の人たちは5年で終われそうな感じです。先日、同級生のアメリカ人が投票行動の単著論文でAJPSにアクセプトされたそうなのですが、この人なんかは結構良い所に就職できるのかなあという気がします。僕はどうなるのやら…。
明日から土曜日の夜まで中西部政治学会のためシカゴに行ってきます。
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4月9日(土)の夜
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シカゴの中西部政治学会から帰ってきました。僕のパネルはチェア、ディスカッサント、発表者にそれぞれ有名な先生が含まれており、かなりびびっていたのですが発表は思ったよりも上手くいったと思います。特にディスカッサントの先生は東海岸の名門私立大学の人で、たまたま今回の学会で知り合ったそこの院生に評判を聞いてみたのですが、厳しいコメントで有名のようで学内でも恐れられているとのこと。しかしパネルでは僕のペーパーに対してそんなに厳しいことは言われず、終始和やかな感じでした。パネルにあった5本のペーパーも有名な先生のを除いてはそんなにレベルが高くなく、結果として僕のペーパーのダメなところが埋もれてしまった感があります(この有名な先生のペーパーはすぐにでもどこかのジャーナルにパブリッシュされるのではないかという気がします)。また"Ambivalence and Uncertainty in Political Decision Making"という僕の研究テーマそのもののパネルだったので非常に勉強になったと思います。
自分の学会発表の他はほとんどが遊びの時間でした。金曜日の昼頃、シカゴ大学を見学しようとダウンタウンの駅まで行ったのですが、切符を買った後、大学方面行きの電車が来るのが2時間後だということに気づき断念。それにシカゴ大学周辺は危険だと聞いていたので大学の最寄の駅からの治安状況も不安でした。僕が日本でお世話になった先生の一人はシカゴ大学でPh.D.を取られているのですが、在学中はスラム化を食い止めるために大学が買い上げた治安の悪い地域の建物を改装した寮に住んでいて、そこから大学まで毎朝、スニーカーの紐をきつく結んでダッシュで走って通学していたそうです。それでもその同じ寮の学生がナイフで切りつけられて血まみれで帰って来たこともあったとか。僕は大学院受験のときも含めてあまり第一志望とか憧れの大学とかはありませんでしたが、ハーバードでもイェールでもなく、シカゴ大学だけは何となく特別に感じています。古代政治哲学研究者のレオ・シュトラウス、古典的自由主義の経済学者フリードリヒ・ハイエク、リバータリアン法学者のリチャード・エプステインなど保守主義の伝統ゆえです。それだけに今回行けなかったのは何とも悔しいです。
その他今回は久しぶりの知人や初めてお会いした方など多くの日本人と交流をもつことができました。やっぱ南西部政治学会と違って中西部政治学会は盛大です。
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4月13日(水)の昼
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最近の進展具合についてですが、やろうと思えばプロポーザルのディフェンスができる気がします。アドバイザーのところにももう何度も行って「もうそれで良いから先に進め」とか言われていて、もうこれ以上相談には行けないような状況です。でも何か納得いかない…。こんな内容では今後少なくとも1年間、興味をもって研究できるとも思えないのです。ということでアイデアをずっと考えています。具体的には欲張って、フォーマルモデル、シュミレーション、計量分析、簡単な事例研究の全部を含めたいと思っています。大統領選挙における候補者と有権者の行動の包括的なモデルを示したい。まあ今の僕にはあまりにも壮大すぎることかも知れませんが。
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4月14日(木)の夜
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人とも会わず、誰とも話さず、昼夜関係なくパソコンに向かっているとおかしくなってきます。雑事に関わることなく、一つのことだけに集中できるこういう時間は本当に贅沢だと思うのですが、かといってはかどっているかというとそうでもなく、ときに自暴自棄になったり、不安になったり、自己嫌悪になったり、色々変なことを考えてみたりと地味で孤独な戦いという感じもします。たまたま見つけた友人のブログに意味も無く書き込んでみたり、昨今の中国における反日暴動について考えてみたり、辻仁成って実はかなりカッコイイんじゃないか、と思ってみたり。なんだか自分の精神がじわじわと蝕まれているような感じがします。またついつい過食気味にもなるし、変な睡眠リズムになるし、運動はしないしで体にも良くありません。これは決して日本でサラリーマンとして働いている人のような肉体的にも精神的にもハードな生活なわけではないですが、一方でまともな生活とも言えない。早く家族や友人に囲まれての日本での「まともな生活」が送れるようになりたいものです。
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4月15日(金)の夜
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TAをしている「アメリカ政治入門」のクラスでは現在、議会について勉強しています。正直アメリカ政治の中で僕が最も手薄な分野で、突っ込んだ質問をされないかいつもヒヤヒヤしています。授業の中では結構色々と興味深い統計が紹介されるのですが、その中に連邦議会、テキサス州議会のそれぞれ議員の1年間の給料の額がありました。それによると、連邦議会議員が2004年に年間158100ドル(約1581万円)給料をもらっているのに対して、テキサス州議会議員は年間7200ドル(約72万円)しか給料をもらっていません。これはTAの給料よりもよほど低い額です。京都府議会議員でも月額96万円もらっています。テキサス州の人口が2000万人を超えるのに対して、京都府の人口は260万人くらいしかいないことを考えれば驚くべき少なさです。しかも単純な比較はできませんが、アメリカは連邦制なのでテキサス州は京都府よりも中央政府(連邦政府)に対して権限をもっているはずです。
こうした低い給料すなわち立法の軽視の原因の一つとしては「法律による規制は少なければ少ないほど良い」「小さな政府が良い」とのテキサスの保守的な政治文化があると考えられます。テキサスの州議会は2年ごとに140日しか開かれておらず、議員はたいがい他に自分のビジネスをもっていて、政治に専念することはありません。現に議員に「職業は?」と尋ねたところ、「議員です」と答えたのは10%ほどしかいなかったそうです。いわばビジネスマンが片手間に政治をやっているという感じです。従って環境規制は全米で最も緩く、労働者の権利を守る法律がほとんどないため、全米で最も労働組合の組織率が低く「ビジネスに最適な土地」として知られています。ちなみに前テキサス州知事のブッシュ大統領はアメリカをこういう国に変えたいと思っているそうです。
政治家は政治活動だけに専念できるだけの高い給料をもらう「専業政治家」であるべきか、あるいは低い給料でもあくまで市民の代表として志の高い人が「兼業政治家」となるべきか、たまに議論されたりもしますが、これは結構重要な問題だと思います。一見、後者の方が聞こえが良いようですが、これだとテキサスのように政治に専念できるだけの余裕がある層の利益が過度に代表されるという可能性があります。そう考えるなら、特定の利益から離れてより広く一般の利益を代表するために政治家は「公」から十分なカネをもらう必要があるという主張もあながち悪いものではないのかもしれません(物議をかもした日本の政党助成金のアイデアなんかはこれに近いと思います)。
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4月18日(月)の夜
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土曜日はオースティン在住の日本人の方の邸宅でのパーティに行ってきました。3時ごろからオースティンを見下ろす眺めの良いプールで泳ぎつつ、神戸牛のBBQ。夕方から室内に移動してカラオケに高級酒、にぎり寿司など、あり得ないほど豪華なパーティでした。参加者は僕とほぼ同年代にもかかわらずほとんどが駐在員、MBA学生、院生などの夫婦かカップルで、単身者は僕と経済学部の助教授の某先生くらいなもの。やけになって奥様方の前で「めがねっ娘+妹系+ドジっ娘萌え」について熱く語ったり、矢口脱退記念とばかりにモー娘。の「愛の種」を熱唱したり(モー娘。よ、初心に帰れということで…)、僕と某先生でSPEEDの"White Love"を裏声でデュエット(!?)してやりました。パーティが終わったのは夜中の1時。いやー楽しかった。
で、日曜日はTAのクラスの採点。今回の課題は2006年の中間選挙に立候補するであろう人物を現職、新人含めて3人選び、それぞれについてバイオグラフィーと政策的なポジションを簡潔にまとめるというものです。中には現職政治家のウェブサイトにある長い文章をそっくりそのままコピペするような学生もいて、当然そういう人には低い点数を与えます。面白かったものとして、その3人の候補者の中に自分自身を挙げているのがありました。つまり自分のバイオグラフィーと政策的主張が書かれています。政策的主張は結構しっかり書けていてこの学生は本当に立候補するのかもしれないと思わせるものでした。しかし細かいことを言えば、問題は年齢。このクラスをとっているのはおそらく1、2年生が中心で、2006年の時点で下院の被選挙権がもてる25歳になっている人はあまりいないのではないかと思います。とはいえ、他の候補者についてもしっかり書けていたし、この学生にはこの際高得点を与えましたが。
プロポーザル書き、正直あまり順調ではありません。書く内容についてはしっかり頭の中にあり、結構気に入っているはずなのに、なぜか進まない。きっとまだあんまり整理できていないのだと思います。誰かに面と向かってじっくり説明するような機会があれば良いのかもしれません。今晩は意地でも遅くまで起きてがんばります。
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4月21日(木)の夜
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相変わらずプロポーザルで煮詰まっていて昼も夜も無い生活をしている割には、進んでいません。で、今日は少し気分を変えるためにも学部主催のトークに久しぶりに行って来ました。何回もこの日記で書いているとおり、現在UT政治学部は政治思想と公法学に力を入れており、今回のレクチャーもそのシリーズの一つです。部屋も他のトークとは違い、リベラルアーツカレッジの建物の豪華な部屋で、果物やスナックやケーキなどのrefreshmentも用意されています。講師はシュトラウシアンの政治思想の教授と同様、今年からUTに来た公法学の大物教授で(おそらくこの二人がUT政治学部の中で現在一番有名)、テーマは憲法改正について。ボキャブラリーの違いや勉強不足から正直話の内容の理解には自信がありませんが、だいたい以下のような感じだったと思います。
まず教授は"Can constitution be unconstitutional?"と問題提起します。つまり憲法は違憲になりうるか、憲法はどこまで変えることができるか、と。教授は二つの立場を紹介します。一つはイギリスの保守思想家エドマンド・バークの立場で、憲法の上位には"natural law"(自然法)なるものがありそれが基準になりうるというものです。この立場よると、固有の歴史に根ざした習慣や制度が自然法を表したものであり、憲法はそれに即して定められるべきであって、抽象的な政治理論によって憲法を変えようとすることは望ましくありません。つまり自然法の定める自然の秩序(この場合長い時間の中で自然に育まれた習慣や制度)に逆らって、無理矢理人為の産物である人権思想などによって憲法がみだりに変えられるべきではないのです。
それに対して、もう一つの立場はドイツの公法学者カール・シュミットのもので、自然法のような上位の普遍的な法概念を否定し、法の根拠は定められた法それ自体にあるとする"positive law"(実定法、人定法)を主張します。つまり人間がそれを法として認めたから、法なのであって、法が法となるのに自然法といったより普遍的な上位の法の裏づけを必要としません。極端に言えばこの立場はどんなおかしな法律でも一旦成立すればそれには正当性があると認めます。したがって、憲法もそれまでの習慣や歴史や価値観とは関係無しに手続きを経て改正が可能です。
教授は様々な実際の事例(アメリカ、イギリス、アイルランド、インドなどでの憲法をめぐる論争)を引きつつ、どうやら前者の自然法の立場を支持しているようでした。ただし詳しい理屈などはよくわかりません。だいたい、教授の言っていることが引用なのか、自身の主張なのかすらよくわからないときもありました。やはりpolitical "philosophy"を勉強するには、political "science"を勉強する以上に英語力が必要だと思います。
先ほど驚くべきメールが来ました。僕が今まで英語で書いた論文では必ず引用していた有名な政治学者からで、先日の中西部政治学会で僕が発表した論文のタイトルを見て興味をもったので、論文を送って欲しいとのこと。確かにタイトルだけ見ればこの先生が関心をもったのはうなずけるし、ある種の研究者には興味深いトピックだと思います。ただし問題は中身…。ていうか、中西部政治学会のサイトにわざわざアップしていないことから察してくれよという感じです。とはいえ、もちろん断るわけにもいかないので、恥を忍んで送りました。ああ…。
夏休みに帰国する飛行機のチケットを買いました。5月24日に帰国、7月25日にオースティンに戻ってきます。この期に及んでまた2ヶ月も帰国するのか、という感じですがそれなりの事情もあるのです。チケットの値段は514ドル。それに税金やら何やらがかかりました。思ったよりも安く買えたので良かったです。
あと今、オフィスにいるのですが、1時間くらい前から停電しています。キャンパス全体が停電しているようです。先日も実は日中に停電があり、大学創立以来初めてオースティン市より電気を買ったそうです(UTは自前の発電所をもっており、普段はオースティン市に電気を売っている)。何の関係のトラブルでしょうか。いずれにせよまだ復旧しない様子なので、これを口実にアパートに帰るとします。エレベータは使えないだろうし、非常階段で帰ることになると思うのですが、全く窓が無い非常階段なので真の闇になっているのではないかと不安です。アパートは大丈夫だろうな…。
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4月23日(土)の昼
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ここ数日、このHPのあるAOLのサーバー調子がおかしいようでアップロードできなかったり、ファイルが見れなくなったりしています。AOLはこういうことが多いので、他のサーバーへの移転を考えています。
ずっとアップできなかった木曜日の日記で触れた、メールで僕の論文を請求してきた教授についてですが、「あなたの注意を引くに値しない論文ですが…」という言葉とともに論文を送ったところ返事が来て「謙虚になるな。君の論文は少なくとも他の研究者のものと比べて見劣りするものではない」とのことでした。「謙虚になるな」というのはアメリカで僕がこれまで再三言われてきたことですが、後の文章の解釈は微妙です。僕としては結構うれしかったのですが。
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4月25日(月)の夜
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『文藝春秋』5月号の中西輝政「わが師・高坂正尭と江藤淳」に面白い記述を見つけました。それは中西氏のケンブリッジ大学留学時代の指導教授であるハリー・ヒンズリーという学者の言葉で、その部分を以下に書き出します。
「国際政治学などという学問はありません。国際関係の本質は全て歴史の中でしか考察・分析することができないからです。この分野に限っては歴史研究を超えた社会科学とか政治学という概念は成立しないのです。したがって国際政治はすべからく歴史に還元して勉強するしかないのです」
この言葉は、京大で政治学科(専攻)に籍を置き、「国際政治学」の講座を担当していながら、何ら政治学の理論や社会科学としての方法や体系を論じることなく、やっているのは歴史の研究ばかり、という高坂正尭教授の下で、何とか「自分の学問」を、と苦吟していた私にとって、いわば「コペルニクス的転回」のように響いた。
国際政治学に限らず、こうした「歴史」としての政治研究か、「科学」としての政治研究かの議論については昔からありますが、ここまで言い切られると爽快ですらあります。政治現象がそのつど同じものはもう二度と起こりえない歴史的、特殊的要因によって起こるとするなら、政治研究は歴史研究でしかあり得ないし(”普仏戦争、第一次世界大戦、朝鮮戦争から戦争の一般法則を導き出すのは不可能!”)、一方で政治現象が普遍的な一般的要因によって引き起こされるとするならば物理学のようなモデルに従って科学的研究が可能なわけです("過去200年の戦争のデータを統計的に処理することによって、戦争の一般法則が解明可能!")。こうした「歴史性」vs「普遍性」は、人間の金儲けの欲求はほぼ普遍的とみなせることから、経済学では比較的後者に軍配が上がり勝ちですが、政治に関わる人間の動機が多様であることから、政治学でそうとも言えません。人間の「金儲け」の欲求は少なくとも資本主義の確立以後、時代を超え普遍的なものだと考えられますが(近代経済学は資本主義研究の学)、政治に関わる人間のモチベーションは、国内政治における議員の行動であれば例えば「再選」であったり「政策の実現」であったり、国際政治における国家の行動であれば「安全保障」であったり「金儲け」であったりで、必ずしも一つのものに集約できるわけではなく、その時々種類としてもまたその中身としても変わりうるもの、つまり歴史性を帯びるものです。例えばイラク復興に関して「科学」の立場から言えば「ジャパンモデルで行こう!」と言えるのかもしれませんが、「歴史」の立場からは「そもそも当時の日本と今のイラクでは何もかも違いすぎて何の参考にもならない」となるのでしょう。しかしこれって考えてみれば歴史的アプローチの方が「われわれは歴史から学べない」と言っているようで、皮肉な気もしますが。
何となく、国際政治学という分野が政治学の中でもとりわけフォーマルモデルがよく使われる分野である一方で、依然として歴史学者のような国際政治学者が強い影響力をもっている理由がわかる気がしました。
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4月26日(火)の朝
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僕は普段から情に厚いわけでもなく、あまり他人に感情移入したりする方では無いと思っているのですが、それでも先日のJRの脱線事故で亡くなられた同志社の学生さんたちのことを思うと自然と涙が出てきました。亡くなられた方々はみな1、2年生です。騒々しい知真館、初めての大学の授業、図書館の匂い、サークルの勧誘、新しい友人とのたどたどしい会話、夕焼けに染まった駅までの田舎道など自分が1年生で入学したばかりの田辺キャンパスの様子を思い出しながら、亡くなった人たちは僕と同じようなそうした体験をするはずだったのに、それができなかったんだなあと思うと胸が締め付けられます。自分のあの何と言うか痛々しくも新鮮な驚きに満ち溢れた新生活が一瞬にして奪われたと思うといたたまれません。さぞ無念だったでしょう。そんなことを考えていると、自分があの電車の中にいたかのような錯覚すら覚えてきます。
僕は911のテロのときアメリカにいましたが正直、あまりこのような気持ちにはなりませんでした。むしろかなり他人事でした。でもおそらく当時のアメリカ人の多くは現在の僕のような気持ちになっていたのでしょう。見たことも無い他人に対してこのような感情を抱いて涙まで流したのは初めてで、何だか自分でも驚いています。
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4月26日(火)の夜
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今日の"Positive Political Economy"の授業の内容は、政治とマーケットについて。主に政治的要因が株式市場、外国為替市場に与える影響についての論文を読みました。この授業の先生(僕のアドバイザー)は経済学のPh.D.でこのトピックが専門です。なのでなかなか熱のこもった授業でした。経済の予備知識が結構必要だったので理解できない部分もありましたが、面白い分野だと思いました。
市場における価格とはその時点までの全ての「情報」が集約されて決まります。情報の中身が変わらなければ株価はいつまでも同じままで均衡します。株価が変化するとき、それは情報が変化するときです。情報の変化というのは、新しい情報の登場だけでなく、既存の情報の不確実性の変化も含みます。例えば「イラク戦争が始まる」という情報の確実性が増すにつれ、軍需産業の株価が上がると考えられます。ただし確実性が"1"になった時点(つまりこの場合イラク戦争が始まった時点)で、株価が急激に上がるかというとそうとも限りません。例えば航空業界に悪い影響を与える規制を含む法案が議会に提出されたとします。この時点で、それが実際に可決される確実性が実質的なものになったことから航空会社の株価は下がるかもしれません。そしてそれが委員会を通過し後は本会議だけ、しかも議員のほとんどはどうやら賛成らしいとなると、さらに確実性は増し、株価はさらに下がるでしょう。しかしいざ可決されたとなると、株価はさほど変わらないかもしれません。というのも委員会を通過した時点で、すでに確実性が限りなく1に近づき、「可決」はすでにトレーダーに予想されており、可決前の時点で価格に折込済みだからです。したがってこうした市場の価格の成り立ちを理解せず、「法案が可決されたのに株価は反応しない。この法案は株価に何の影響も与えなかった」と考えるのは明らかに誤りです(実際にこうした誤りを犯している政治学者による論文を読みました)。
要するに予測されていないこと、つまり現在の価格に折込済みで無いこと(例えば政治家の暗殺、自然災害など)が起これば起こるほど、株価のへの影響は大きなものになります。確実性1%(ほとんど予測されていない)→100%(それが実際に起こる)という風に情報の確実性の変化の割合が急激であればあるほど株価は急激に変化するのです。そのため株のトレーダーは少しでも情報の確実性を正確に把握するため、委員会での議論、どの政治家がサポートしているか、世論はどうか、大統領はどうか、議会内の勢力分布はどうかなど政治情報を集めては分析しており、先生が言うには彼らは"best political scientists"なのだそうです。
で、先生が現在研究しているのは、選挙に至るまでの間のトレーダーの勝敗予測が各産業別の株価に与える影響とそのバリエーションの説明です。具体的に、共和党の勝利を予測すればするほど、スーパー・コンビニエンスストア業界、電気サービス業界、金属機械業界、電化製品業界などの株価が上がる一方、民主党の勝利を予測すればするほど住宅業界、冷蔵サービス業界(←!?)の株価が上がるのだそうです。で、問題はなんで業界によってこうした違いが出るのかということ。その違いを政治献金の額、業界の売り上げ、政府への売上額などによって説明しようとしています。
とはいえ、面白いなあと思ってもそうそう普通の政治学者が参入できる分野でも無さそうです。こういう株価云々の分析には、ファイナンスのためのエコノメトリクスが必要なようで、それらは概してかなり高度のようです。
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4月28日(木)の夜
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あいかわらず研究の方は納得がいかないままですが、今日はさらにLaTeXで図を挿入するのに5時間もかかってしまいますます嫌になってしまいます。しかもまだ"eps"ファイルを挿入するやり方しかわかりません。モノクロgifも入れられるようにしたいのですが、まだそれはできずにいます。パソコンってストレスがたまるなあ。
あと今日は学部からメールが来て、来年もTAができることが決まりました。5年目とはいえ不安要因はありました。ここ2年ほとんどの新入生は4年の財政援助パッケージで入ってきている、ハーバードの教授の引き抜きにより来学期何人か財政援助付で院生がついてくるらしい、今年の財政援助検討委員会に知っている先生がいない上、ほとんどがqualitativeと政治思想の先生で僕と正反対など。それだけにうれしいものです。今更授業料(近年値上がりが著しい)、健康保険、生活費などで年間250万円とか払う気にもなれません。そう考えると本当にありがたいことです。
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