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2006年3月の日記
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3月5日(日)の夜
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久しぶりの更新になります。金曜日の夜はMBAの方々の勉強会に行ってきました。参加者はMBAの方々の他は、ロースクールの学生、日本からのvisitingでUTロースクールに来ている日本の大学の先生などでした。テーマは「NTTの現状」のような感じで、NTTが他社との競争に晒され、今いかに「ジリ貧」かということが語られました。この問題は昨今の郵政民営化や「外資ハゲタカ論」などとも関係があり、興味深いものです。通信という基幹産業のため、国策論や国益論にも関係があります。ビジネスチャンスという観点から言うとNTTの再々編、弱体化というのは好ましいことかもしれませんが、果たしてそれが国民の利益という観点から見ても本当に好ましいことなのかどうか。この勉強会ではNTTがいかに弱っているかということが語られましたが、実際に最近の政府の見解や世論を見ればそれが完全に逆であることが分かります。例えば二月下旬の竹中平蔵総務相の私的懇談会「通信・放送の在り方に関する懇談会」(座長・松原聡東洋大教授)では、NTTグループの組織や経営形態を抜本的に見直すことで委員全員の意見が一致しましたが、その背後には「固定電話や携帯電話、光ファイバーなどあらゆる通信領域でシェア五割以上を確保するなど、いまだにNTTグループの支配力が継続していること」への懸念があります。こうした「NTTは未だ強大で、競争を阻害している」との認識は競争促進を常に是とする竹中総務相の側近グループや政府、あるいは大手メディアの主流の論調であり、今回の勉強会で報告されたNTT内部の方との認識とは対立します。もちろん両者の利害は対立するわけですからこれは当然なのですが。
昨日の昼間、バスに乗ったのですが、後部座席に座ったところ新聞らしきものが数部置かれているのに気づきました。タイトルは"MIM Notes"とあり、どうやらこの"MIM"とは"Maoist Internationalist Movement"(毛沢東国際主義運動)の略のようです。怪しさ満開です。記事によるとこの団体はカネにまみれたアメリカ帝国主義に反対しているようで、アメリカのことを"United $tates"と常に記述し、なぜか"America"も"Amerika"と書くようです。また「毛沢東の文化大革命を人類の歴史における共産主義の最新の発展」とみなす一方、スターリン死後のソ連、毛沢東死後の中国は堕落していると考えているようです。
おそらく貧乏人が乗ることが多いバスにわざと活動家か何かがこの新聞を置いたのでしょう。こんな「香ばしい」新聞、見逃せるはずがありません。手にとって鞄に収めるとその瞬間近くの席に座っていた眼光鋭い男と目が合いました。「やばい、マークされた!?この男はこの新聞を置いた活動家か、はたまたFBIの捜査官か!?」と一瞬ビビりましたが、バスを降りるときも尾行されず、事なきを得ました(←?)。
全然関係ありませんが、映画『Always: 三丁目の夕日』が今年の日本アカデミー賞を総なめにしたそうです。僕もこの映画を昨年末に見ましたが確かに良い映画だと思いました。でも要は単なるノスタルジーです。現状に不満をもつ中高年が「昔は良かった…、今の世の中は腐ってる」と過去に自分を置いて現在を見つめるネガティブな前向き映画です。こうしたノスタルジーはいつの時代も強力です(明治の年寄りは、江戸の美徳が失われたことを嘆き、昭和の年寄りは明治の美風が失われたことを嘆き…)。この映画のウェブサイトの掲示板を見ると熱烈なファンがいて、まるでわが事のようにこの映画を愛し、布教に努め、仲間同士の連帯を味わっている様が伺えます。正直言って気持ち悪いです。僕はこの映画が好きだし、例えベタでも多くの人に支持された映画が日本アカデミー賞を取るべきだと思いますが、それでもこのメッセージボードでのやり取りを見ていると気持ち悪い。まるで名作との評判も高い『クレヨンしんちゃん:嵐を呼ぶモーレツ!大人帝国の逆襲』に描かれる様子そのままです。『三丁目の夕日』に熱狂する人たちには、この映画を見てもらいたいと思います。
今晩は採点のため、徹夜です…。
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3月7日(火)の夕方
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TAのクラスの宿題の模範解答を作っているのですが、「切片を含まない回帰モデルにおいては残差の和が必ずしもゼロにならない」ということを数式でどうやって示せるのかがわかりません。もちろんintuitivelyには説明できるし、実際採点上もそれができていれば十分なのですが、何となく模範解答ではちゃんと数式で示したい。しかしどの教科書を見ても「必ずしもゼロにはならない」と書いてあるだけで、こんな重要ではないことをわざわざ数式でもって示すというようなことはしていません。最初はこんなこと簡単だと思ったのですが。あー、どうしよう。今日の夜までには模範解答を仕上げたい…。
(追記)結局、あまり深く考えず以下のようにしてみました。あんまりスマートではありませんが。
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3月10日(金)の昼
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この1週間は本当に忙しかったです。食事をする時間も禄に無かったくらいです。なぜ忙しかったかというと、第一に何度も言っているようにTAの仕事。月曜日までは宿題の模範解答を作っていて、火曜日以降は中間試験の模範解答を作っていました。はっきりいって手抜きはいくらでもできるし、そこまで厳密な回答なんて先生も学生も求めていないと思います。じゃあ、何でそこまでこだわってやるのかというと、一つには僕の性格。意味も無く几帳面で完璧主義的なところがあり、何事にも手を抜けないのです。要するに要領が悪いのです。さらにもう一つは、現実逃避。おそらく無意識的にも意識的にも「TAの仕事」を研究がはかどらないことへの都合の良い言い訳としているのでしょう。1日研究が進まなくてもTAの仕事さえやっていれば気持ちの上で免罪符が得られます。でもはっきり言ってこれは良くありません。このままダラダラ続けるのもどうかと思うので来学期は敢えてTAをやらず、退路を断ち、博士論文に集中すべきかとも考えています。目標は年内にPh.D.取得。今までの節約生活の甲斐もあって、TAをしなくても何とか来学期くらいは生活できるでしょう。
で、実質今日から20日(日)まで春休みです。これといった予定は全く入っていないので勉強に集中したいと思います。博士論文はもちろんのこと、4月のMidwestと7月のIPSAの論文も進めないといけません。その他プログラミングの勉強もあるし、税金の書類の作成、どこかに投稿したいと考えているEITMのアプローチを使った論文の完成も急がないといけません。後悔の無い春休みが送れますように。
ところで今週はTAの仕事の他にも、日本の某学術誌に投稿した論文の修正・再提出のための作業を行っていたのですが、やはり一般言語で理論を記述し他者に伝えることの難しさを感じます。概念を誤解無く伝えるのが難しいし、数学的思考に基づかない僕の理論は時に自分でさえも混乱を覚えます(論理的におかしいのかおかしくないのか自分でも確かめられない)。「言葉遊び」にも陥ってしまいかねません。やはり高度な数学テクニックは必ずしも使う必要はありませんが、早くセオリーを数学できちんと記述できる術を身につけないといけないと思います。セオリーの論理性は研究の命だと思います。
最近、政治(政治学ではなく)関係のネタをここにあまり書いていないので、そういう方面も書けたらなあと思っています。
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3月13日(月)の昼
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春休みに入り、予想通りというか勉強せずに小説ばっかり読んでいます。図書館で借りた村上春樹の短編集と、H先生から借りた横溝正史の小説。昨夜も3時まで『八つ墓村』を読んでいて、今朝は10時起床。理想的な生活としては6時起床でジムに行って筋トレし、8時から図書館で勉強だったので、いきなり挫折です。今日一日このまま「消化試合」になってしまうような…。
昨夜、急に髪の毛が切りたくなりました。12月中旬に日本で散髪に行って以来です。今までアメリカではバリカンで丸刈りしていましたが、何となく今回は丸刈りは嫌です。かといってアメリカの散髪屋に12ドルも出す気にもなりません。ということで、バリカンを使って、横と後ろを自分で刈ることに。かなり「危険」ですが、もし失敗したら丸刈りにするということで。結果は微妙。おそらく日本の80年代だったら「ツーブロック」として許容されていたのではないかと思います。CCBの人たちとか、光GENJIの佐藤くんなんかはこんな髪型だったような気がします。ただし現代日本なら確実にNGでしょう。明らかに不自然すぎます。しかしここはアメリカ。自由の国です。これくらい変な髪形の人なら普通にいます。おそらくアメリカで散髪屋に行ったのとそんなに変わらないでしょう。ということで、しばらくこのまま様子を見ることにします。もし誰かに変といわれれば改めて丸刈りにしよう。
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3月15日(水)の昼
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結局髪の毛は自分でハサミで調整しました。もう変でもどうでも良いです。
おとついは縁あって物理学の教授のオフィスにお邪魔し、いろいろと話を聞きました。興味深かった話としては、「数学は論理だけでそれが真実とわかる分析的真を扱うのに対して、物理学など自然科学は論理だけではそれが真実とはわからない総合的真を扱っている」、「数学者から見れば物理学者はいい加減で、ヤマ師であるのに対して、物理学者から見れば数学者は細かすぎる」など。話を総合するに、数学という学問はかなり特殊であり、物理学など自然科学は数学よりも経済学や政治学など社会科学に全然近いということです。モデリングにおける数学の利用においては物理学も経済学も政治学も基本的に同じです(もちろん経済学がマネしたのですが)。物理学はもちろんモデルを記述するのに数学を使いますが、それはモデルの透明性を求めるためであり、数学者が見ればかなり厳密性に欠けるとか。ただし物理学者からすると数学者の求める厳密性というのはどうでも良いことなのだとか。要するに先験的な事象を扱う数学や論理学を含む哲学(philosophy)と、経験的な事象を扱う物理学や政治学を含む科学(science)は原理的に異なるということです。政治学における数学を用いてのモデリングにおいても大変示唆的でした。
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3月20日(月)の昼
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15日の水曜日はテキサスA&Mから後輩が来てくれました。食事した後、WBCの日本対韓国の試合が放送されているのではないかとの期待のもと、ダウンタウンのスポーツバーを目指すもSXSWという音楽祭開催のためダウンタウンはすごい人出で、車を(タダで)駐車する場所が無く断念。一旦アパートに戻り、同じ学部の「第三の漢」氏ことW氏を呼び出して近所のバーへ。そこではテレビが何台かあって非常に空いていたので勝手にチャンネルを回すも、ESPNでも日本対韓国の試合は放送していない模様。さすがにアジアの国同士の試合を流しても視聴率が取れないからか。で、奇跡の決勝トーナメント進出の後の一昨日土曜日の晩は日本人で集まって出前の寿司を食べながらWBCの日本対韓国の試合を観戦。結果、勝利で非常に盛り上がりました。大勢で集まって試合を観戦するなんてほとんど初めての経験だったのですが、結構楽しかったです。
藤原正彦『国家の品格』(新潮新書)が売れているようです。僕はこの本は読んでいませんが著者の同じようなテーマをもつ論考を『文藝春秋』など総合雑誌で何度か読んでいます。著者は一貫して西洋の合理主義を批判し、武士道などに見られる日本の「国柄」の再興を主張しています。そこで取り上げられるのは、白虎隊の悲劇的な死とそれに対する日本民衆の共感や、日露戦争の勝利にも浮かれずロシアを思いやった乃木大将の逸話など、「勝てば官軍」や「弱肉強食」への批判です。常々「論理」よりも「情緒」が大事と主張している著者らしく、はっきり言って数学者とは思えないほど議論が雑です。にもかかわらずこの本は大変売れている。それはおそらく多くの現代の日本人の共感を得ているからだろうし、その意味で日本の今後を占う上で「この本が売れる」という事実は重要だと思います。
政治制度にせよ経済制度にせよその背後にはそれを正当化するための思想が存在しています。数百年前に生まれ、現代においては最も優勢であろうと思われるのが、個人主義、自由主義思想です。それは端的に「他人に害を加えなければ何をしても良いし何を思っても良い(善と正義の分離)」、「私的所有の確立(自分が働いて得たモノに対しては絶対的な所有権をもつ)」、「権利において各人は平等である」などと表されます。これらを「公理」としてそこから演繹的に導かれるのが、多数決に基づく民主主義であり、自由放任の市場主義です。社会的な価値観としては、神や国家という個人の上位に来る権威は究極的には否定されます。従ってこうした個人主義思想に基づく社会が最終的に行き着く「均衡点」はリバータリアン的な「自由放任」、「弱肉強食」の社会です。
アメリカもその建国時にはキリスト教的価値観が自明のものとして受け入れられていましたが、それは戦後急速に低下したし、大恐慌のリアクションとして大きな政府が成立したものの、それはあくまでアメリカの歴史においては例外であり、根本は小さな政府であり続けています。また日本においても戦後にアメリカ的な自由主義的、個人主義的思想が広まると天皇や国家の権威は低下し、不景気を境にして経済思想にしても市場原理主義が幅を利かせるようになっています。要するに両国とも大きくはリバータリアン的社会に収斂してきているのです。上記のような個人主義の思想を根本に持つ限り、民主主義も市場経済も否定はできません。
こうした個人主義が立脚する「個人」とはどこにもいない抽象的存在、非歴史的存在であるがゆえに普遍性をもちます。したがってこの価値観が一旦受け入れられてしまえば、どの国であっても文化や歴史に関わらず、大きくは民主主義、市場主義に向かわざるを得ないのです。人間は情緒的存在である以上にやはり論理的、理性的であり、一旦耳障りの良い個人主義思想を受け入れるとそこから論理的に導かれる民主主義や市場主義は否定できません。これは地球全体で一つの政治制度、経済制度が国境を越えて広がるというグローバリズムを促進します。
以上のように個人主義の思想は最終的に世界を一つの方向、リバータリアン的社会に導きますが、これに反するにはどうすれば良いか。それは個人主義の思想を変えることです。「民主主義、市場主義が正当な政治経済制度である」との命題は、個人主義を公理としてもつがゆえに導かれます。もしこの個人主義を別の思想に変えれば、最終的に導かれる命題は異なったものになります。それが例えば個人主義、自由主義に代わるコミュニタリアニズムです。
コミュニタリアニズムは端的に、個人主義、自由主義における「個人」の非歴史性、匿名性を批判し、そんなありもしない抽象的個人を根拠にすることに異議を唱えます。コミュニタリアンによれば自由主義者は個人を所与のものとして共同体に関する議論を展開しますが、実際には個人は共同体より先にあるのではなく、いわば共同体があっての個人です。個人は歴史的存在であり、生まれ育った共同体の価値観によって影響を受け、決して一様に同じで普遍的なものではありません。そう考えると結局、自由主義者のように一つの原理でもって全ての問題に関して正否の判定をするということが間違いとなります。自由主義者は「普遍的」な自由主義の原理を演繹することで、正しい政治制度、正しい経済制度、正しい男女間のあり方、正しい移民政策、正しい国際関係などさまざまな分野について一様に議論しますが、コミュニタリアンはそれぞれの国や文化、問題の領域にはそれぞれの「正しさ」つまり「正義」があると主張します。つまり、反グローバリズムです。リバータリアンはリバータリアン的社会は多様な価値観が並存する多元主義的社会であると言いますが、その実「正義のルール」が普遍的なため世界の風景が同じになるといったグローバル化による一様化が見られます。それに対してコミュニタリアンは「普遍的な個人など存在しない」すなわち「普遍的なルールなど無い」と言うことで、グローバリズムの進展に待ったをかけようとするわけです。
で、長くなりましたが、日本では今回の『国家の品格』みたいな本が売れているのは、「個人があって共同体がある」の自由主義的価値観から、昔みたいに「共同体があって個人がある」のコミュニタリアン的価値観に戻ろうとしているのではないか、ということです。振り子が自由主義の方向に振り切れてしまったので、そろそろ揺り戻しが来ているのではないかと。そうなるとこれは当然政治制度や経済制度にも影響が出てきます。「共同体があって個人がある」という思想からは、必ずしも民主政治や市場主義経済が演繹されないからです。その点、著者の日本固有の「国柄」に関する議論が最終的には自由主義経済を否定するようになるのは必然であり、論理的です。
僕は全般的にこの方向への揺り戻しを歓迎したいと思います。しかし問題はそれが戦前の日本とどう違うのかということ。『国家の品格』で語られるような反個人主義、反自由主義の思想から、戦前の日本の政治経済体制が演繹でき、正当化されてしまうのであればそれは問題です。戦前とどう違うのか、そのことを考えないことには『国家の品格』で描かれるような思想は一転して危険なものになるでしょう(一つには「日本文化」への誇りから、排外主義に陥るなど)。
長々と大風呂敷を広げてしまいました。天下国家を語る前にまず自分を何とかしないと…。
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3月23日(木)の夜
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今晩はThe Japan-America Society of Greater Austinという団体のイベントに行ってきました。会場はオースティンのダウンタウンの高級ホテルで、テキサス州の前Secretary of State(州務長官)による"Economic Partnership between Japan and Texas"というタイトルのスピーチがありました。内容自体は、主に日本とテキサスの間の貿易や経済的な結びつきに関するもので、別にこの人がわざわざ話すほどのことも無く、それほど面白くありませんでしたが、会場で配布された日本の企業に対してオースティンをアピールする日本語資料にいくつか興味深いことがありました。いくつかを列挙すると、
・オースティンはフォーブス誌「ビジネスにとって最適の場所ランキング」第3位
・オースティンの1994〜2004年の人口増加率は42.8%で、これはアメリカ全体の人口増加率11.6%を大きく上回る。
・年齢の中央値(median)は31.7歳で、全米の中央値36歳よりも4歳若い。
・25歳以上に占める大卒の割合は36.7%で、アメリカ平均の26.5%を上回る。
・生活費はアメリカ全体を100として96.5。
・高給職を生み出す能力のある大都市圏ランキングにおいて4位。
・全米都市の中でも一人当たりの高級レストランおよびクラブの数が最も多い
・テキサス州の経済規模は韓国、スペインに匹敵
・テキサス州の米の生産高は全米一(もともと日系移民によって始められた)
・テキサス州には個人所得税、法人所得税が無い
など。こうして見るといかにオースティンおよびテキサスがアメリカの中で発展して活気があるかがわかります。また特に興味深かったのが「職種別平均賃金および給料」。それによると全職種においてオースティンの平均給与はアメリカ全体を100としたとき、104と若干全米平均を上回っていますが、「建設」は85、「輸送および資材運搬」は89と、いわゆるブルーカラーの職種においては全米平均を大きく下回っています。これはおそらくメキシコからの移民労働者をこき使えることに起因しているのでしょう。アメリカで有数のビジネス環境というのはこうした低賃金の労働者を使えるということにも支えられているのだと思います。あと労働組合の組織率は全米最低だし、環境規制も無いに等しく、要するにテキサスというのは超保守、プロビジネスであるがゆえに「ビジネスに適した州」ということになるのでしょう。
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3月26日(日)の夕方
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週末、金曜の夜は例によって経済学部H先生と学部生Yくんの男二人でカタン("Settlers of Catan")をしました。今回はH先生が新たに" Cities & Knights"という拡張キットを買ってくれたのでそれをプレイすることに。いやー、楽しい! 僕は小学生の頃よりテレビゲームよりもボードゲーム(人生ゲームやモノポリーよりもマニアックなやつ)やテーブルトークRPGが好きだったのですが、ここに来て再燃した感があります。こればっかりはオタクと呼ばれても仕方ない。
土曜日は昼過ぎにMBAの人主催のBBQに参加。BBQといってもテキサスのBBQではなく、日本の焼肉(わざわざ仕込まれたらしい)で、大変おいしかったです。それにしてもMBAの人の奥さんは美人が多いと思います。元レースクィーンという人もいました。やはり「デキる男」はモテるのでしょうか。その人たちが子どもをあやしている姿などを見ると、僕と少ししか年齢が変わらないのに人生ずい分先を行かれているなあと少し凹みます。僕も早く職を得て、少しでも真っ当な人生を取り戻さないといけません。
その後夕方には上記の男二人と、今回は珍しく一人の女子大学院生を交えて食事に行きました。Lake AustinにあるOASISという眺めの良いレストランに。ちょうど夕日の頃だったので大変込んでいましたが、それでも何とか日の入りまでには席に着くことができました。天気も良く大変ロマンチックな夕べでしたが、会話はやはり主に僕とH先生による「ツンデレ喫茶の是非」などマニアックな話で、女子院生はドン引きしていた模様です。で、彼女と別れた後はまたまた男三人でカタンでした。
と、このように今週末はすっかり遊んでしまったので、やらなければいけないことは山積です…。
昨年日本の某学術誌に投稿して、"R&R"(「修正および再提出」)となっていた論文を修正して再提出した結果、このほど掲載が決まりました。これでようやく二本目のパブリケーションです。日本で就職するためには最低あと一つは必要でしょう。今やっているのは、4月の中西部政治学会で発表する比較政治の共著論文、7月の世界政治学会で発表するアメリカ政治の論文、EITMのアプローチによる日本政治の論文、そしてアメリカ政治に関する博士論文で、このうちどれか一つでも今後近いうちにパブリケーションできれば良いなあと思っています(できればアメリカ政治の論文でアメリカの学術誌に)。
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3月29日(水)の夕方
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今日は朝から空間理論のクラスの宿題みたいなのをやっていました。先生の作ったプログラムで自分のデータを分析するということ。この先生のプログラムはSTATAでもなければ、Rでもなく、拡張子が"exe"のまさにプログラムです。そのためデータのフォーマットを整えねばならず、試行錯誤するハメに。先生は例によって曖昧な指針しかくれていません。これは何も教育的配慮とか意地悪とかではなく、先生としては本当にこれで十分だと思っているようです。しかし実際十分ではありません。結局ギリギリまでかかって仕上げました。例によって終わってみれば簡単なことなことです。はっきりいってこんなプログラムを組まなくても、SPSSとエクセルがあれば単純労働の手作業でできるようなことです。では、なぜこんなプログラムをわざわざ組むのか。それは恐らくそういうのが「好き」というのに他ならないと思います。SPSSの結果をエクセルにコピペして計算して、レイアウトして図を作るという作業がエレガントではないと思っているのではないでしょうか。そりゃ、"Enter"キー一発で図から何から何まで出た方がカッコイイのに決まっています。しかし、わざわざそのために一からプログラムを作る必要があるのかと。こういうことは前にもあり、そのときこの先生に「なんでSPSSやSTATAを使わず、わざわざ自分でプログラムを書くのか」と聞いたところ、「なんでわざわざSPSSやSTATAを使うのか」と言われました。そういう考え方もあるようです。いつか僕もこんな言葉を吐けるようになりたいもんです(←!?)。
ところで、今地上波の宗教チャンネルを見ているのですが、パット・ロバートソンを初めて写真以外で見ました。パット・ロバートソンはアメリカのキリスト教テレビ伝道者(テレバンジェリスト)の大物、そしてキリスト教プロテスタント保守派の指導者の一人で、1988年大統領選挙では共和党の予備選挙に出たりしました。アメリカ政治に近年大きな影響力をもついわゆる「宗教右翼」のリーダー中のリーダーです。思っていたよりも人当たりの良さそうな人物で少し驚きました(何となく北朝鮮帰りのジェンキンス氏に似ているような)。
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