研究用読書ノート(2004年9月)

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※あくまでも自分のメモ用なので、不自然、不正確な日本語訳や厳密でない表現が散見されると思いますが、ご容赦ください。

9月25日(土)

1.Wiliam G. Howell. 2003. Power Without Persuasion, Princeton University Press.
2.Kenneth R. Mayer and Kevin Price. 2002. "Unilateral Presidential Powers: Significant Executive Orders 1949-99.Presidential Research Quarterly, 31:367-386.

 これまで、大統領の権力に関する理解としては、Neustadtが主張するような「大統領の力は”説得する力”("power to pursuade")である」というのが有力であった。つまり大統領の権力の本質は、各大統領の人格、知性、政治的技能を活用して拒否権をちらつかせつつ議会と交渉し、取引をすることである。だからこそ、大統領のパフォーマンスには各大統領の個性が反映される。しかし、この二つの文献は、こうした従来の大統領の権力理解に異議を唱え、executive orderなどを通じての大統領の一方的な権力行使を強調する。

 1はまず、こうした従来の理解では行政府の大きさと重要性が安定して拡大し続けているということを説明できない、と疑問を投げかける。「もし大統領の権力が本質的に個人的なものであるならば、どうしてこのようなトレンドが継続するのか?」と。そこで筆者は「説得なき力"power without persuasion"」という大統領の権力理解を提出する。大統領は緊急時、平時問わず常に、議会との交渉の枠組みの外で、行政命令などを駆使して政策変容に影響を与えているのである。筆者はゲーム論的モデルでもって、「いつ大統領は公共政策を一方的に決定するのか、いつ立法のために議会に協力を求めるのか」という問いに答えようとする。彼によれば、大統領が一方的に行動できる自由は、その決定を覆すための議会の能力と司法の意思によって決められる。このモデルは、議会が立法を遂行する上でとりわけ困難で、大統領を拘束する力を弱めているとき、またunified governmentよりもdevided governmentのもとで、さらに挑戦者として大統領選挙に勝った場合、大統領はその一方的な権力をより多く行使する、と予測する。

 2もまた、どのようなときに大統領は行政命令を発するのか、という問いに計量分析で答えようとする。仮説としては、@「現職を破った大統領の最初の年は多くなる」、A「同じ党内で大統領が引き継がれた最初の年は少なくなる」、A「再選を控えた年には少なくなる」、B「任期を終える年には多くなる」、C「世論の支持が多いときほど少なくなる」、D「devided governmentのもとでほど多くなる」というもの。結果、@、A、Cが統計的に有意な値を示す。

 大統領制の研究にゲーム論的なアプローチが出てきたのは90年代に入ってからとのこと(議会研究とからめてならそれ以前からあるが)。

9月18日(土)

1.Richard Pious. 1979. The American Presidency, Basic Books.
2.Jeffrey K. Tulis. 2003. "The Two Constitutional Presidencies". in Michael Nelson, ed. The Presidency and the Political System, CQ Press, pp.79-110
3.Harvey C. Mansfield Jr. 1981. "The Ambivalence of Executive Power". in J. M. Bessette and J. Tulis, eds. The Presidency in the Constitutional Order, Louisiana State University Press, pp314-334

 全て、憲法解釈を中心に据えて大統領制を研究する"Constitutional Presidency"派の論文。憲法に規定された大統領制が、実際どのような解釈のもと、どのように機能しているかを検証する。

 大統領の権力に関する問題は、それについて憲法に定められた条文のあいまいさによる。1は、アメリカ歴史上の「危機」をケースに、大統領がそうした危機を克服するために大権を用いる上で、どのようにその権力の使用を正当化し、その結果どのような影響を後の大統領制に与えたかを検証する。著者によると、4つのパターンがあるという。一つは、危機は成功裡に克服され、議会や最高裁も大統領の行為と正統性の主張を黙認し、「現代に生きる大統領制」(living presidency)が強化される、"frontlash effect"。これにはワシントン、F・ルーズベルト、リンカーンの場合が分類され、たいてい国家安全保障の問題が含まれている。次に、危機は上手く克服されるも、自分の権力に関する大統領の解釈は議会や最高裁から批判され、選挙によって大統領の主導権への国民の支持が侵食され、その後の大統領の権限が法律や、判決や、世論によって制限される、"backlash effect"。これにはジャクソン、タイラー、トルーマンの場合が含まれ、たいてい国内政策の問題を含んでいる。最後に、大統領が議会や最高裁から抑制され、大統領の大権の行使が憲法上の危機を引き起こし、大統領の国家の指導者としての正統性が失われ、弾劾にかけられる、"overshoot and collapse effect"。これらのケースは、大統領はその強さではなく、弱さゆえ、憲法を解釈し自らの立場をも危うくする大権を行使しようとする、ということを示している。大統領が、議会は大統領が求める権限を大統領に与えない、あるいは議会は立法を支配しようとする、あるいは議会と最高裁が大統領の行動を抑制しようとすると判断したとき、大権を行使しようとするのである。

 2は、建国の父たちが構想した憲法と、現代の大統領が解釈する憲法といわば二つの憲法が存在することを指摘し、この二つが相容れないものであると論じる。建国の父たちは政府の目的を、「個人の権利の保護」、「治安の維持」、「人民の意志の反映」であると規定し、このうち「治安の維持」を大統領の役割、「人民の意志の反映」を議会の役割とした。つまり建国の父たちは、人民を扇動するデマゴーグを恐れ、民意の反映を議会の役割とする一方で、より長期的で人民から独立した観点から国を導くべく大統領の任期を最も長い4年に設定し、これに対抗させようとした。しかしながら、ウィルソン大統領が解釈した現代的な憲法においては、大統領も議会も人民を代表しているという点で同じであり、それぞれが「リーダーシップ」および「熟慮」という別々の役割を担っているに過ぎず、いわば両者は相互に依存的である。こうした二つの憲法は、エネルギッシュな大統領を促進し、支持するために作られたという点で同じであるが、それらは正当性の根拠と人民のリーダーシップの役割についての考えで異なる。建国の父たちにとって、大統領はその正当性の根拠を憲法に規定された権限に置いているのに対し、ウィルソン大統領以降の大統領にとって、その権威は直接人民から来ている。建国の父たちの憲法では、人民のリーダーシップは禁じられているのに対して、ウィルソンのそれでは推奨されているのである。

 3は、大統領の権力の二律背反を指摘し、憲法は大統領の権力の二つの異なる概念の対立を反映していると主張する。一つは、「人民は立法権、すなわち議会によって代表される」とする弱い大統領。もう一つは、「人民は行政権、すなわち大統領によって代表される」とする強い大統領。しかし両者は結局、対立するものではなく、同じものの異なる現われであり、相互補完的である。

9月14日(火)

1.Stephen Skowronek. 2003. "Presidential Leadership in Political Time". Michael Nelson, ed. The Presidency and the Political System, CQ Press, pp111-157
2.Stephen Skowronek. 2002. "Presidency and American Political Development: A Third Look". Presidential Studies Quarterly, 32: 743-752
3.Stephen Skowronek. 1986. "Notes on the Presidency in the Political Order". Karen Orren and Stephen Skowronek, eds. Studies in American Political Development, Cambridge University Press, pp286-302

 いずれも"Political Time"概念を使った大統領制分析の第一人者による論文。"Modern Presidency"概念および"Constitutional Presidency"概と比しての、"Political Time"概念の重要性を説く。

 個々の大統領をケースとして扱い大統領制を研究する上で、ある学者はフランクリン・ルーズベルト以降、トルーマン、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソン、ニクソン、フォード、カーター、レーガン、ブッシュ、クリントン、ブッシュの大統領制をまとめて"Modern Presicency"として区別して扱う。つまり、時代に応じて連邦政府および大統領の役割は変化しているので、FDRより前の大統領制は、現代的な問題を考えるのにあまり参考にならない、政府の役割や社会の状況が似ているFDR以降を見るだけで十分だということである。しかし著者はこの方法を、そのグループに分類される大統領たちの共通点には注目できるものの、彼らの相違点を個性と環境の不可解な特異性に帰してしまう、と批判する。これに対して、著者の主張する"Political Time"概念においては、大統領制の歴史における政治的次元で個々の大統領を区別しようとする。
 政治的次元は独特の歴史観から生まれる。まず各体制は新しい政治連合が力を持ち始めることから始まる。第一段階として、その連合は特定の統治の仕方を生み出し、正当化し、それをする上で、その連合のメンバーの利益になるように政府と社会の関係を定義する。第二段階として、その支配的な連合は、国全体の変化に対してその基本的な方針の修正あるいは精緻化を通じて対応することで、その地位を永続的なものにしようとする。第三段階として、しかしながら、いったんそれが確立されると、その連合の利害はその体制の統治能力を弱める影響を持つようになる。つまり社会は過去から未来へ直線的に発展するのではなく、こうしたサイクルを繰り返すことで変化すると考えるのである。こうした歴史的認識を踏まえたうえで、著者はその時々の支配的な連合の立場(弱い―強い)、およびその体制と大統領との関係(対立的―融和的)の二つの軸で、大統領制を4つに分類する。
 まずは支配的な連合の立場が弱く、大統領がそれと対立してる場合である「再建の政治」。これにはジェファーソン、ジャクソン、リンカーン、ルーズベルトなどがあてはまる。次に、支配的な連合の立場が弱く、大統領がそれに属している場合である「分裂の政治」。これにはアダムス、ピアース、ブキャナン、フーバー、カーターなどがあてはまる。さらに、支配的な連合の立場が強く、大統領がそれと対立している場合である「先取りの政治」。ここにはタイラー、A・ジョンソン、ウィルソン、ニクソンが含まれる。最後に、支配的連合が強く、大統領がそれに属している「接合の政治」。ここには、モンロー、ポーク、T・ルーズベルト、、ケネディ、L・ジョンソンが含まれる。
 これらの類型の内部を比較することで、同様の政治的時代を生きる各大統領に共有される職務上の挑戦を特定することができる。またこれらの類型間を比較することで、リーダーシップの状況、政治的行為の制限を理解できる。

9月8日(水)

Fred I. Greenstein. 2004. Presidential Difference: Leadership Style from FDR to George W. Bush, 2nd ed. Princeton University Press

 この本の目的はフランクリン・ルーズベルトから現在のジョージ・W・ブッシュまでの大統領を評価することである。それをするにあたって、著者は従来の研究とは違い、各大統領の目的よりも手段に注目し、またランキングなどはつけない。

 著者の認識によると、大統領という職位のパフォーマンスは、大統領の個性によって大きく影響を受ける。そこで大統領の職務のパフォーマンスにかかわる6つの要因を想定し、それをもとに各大統領を評価し、その職務遂行上のインプリケーションを導き出す。6つの要因とは、公的コミュニケーション能力、組織をまとめる力、政治的スキル、ビジョン、認知スタイル、感情的知性、である。以下に各大統領ごとの著者の評価をまとめる。

フランクリン・D・ルーズベルト
公的コミュニケーション能力…その後の大統領の手本。彼のレトリックは魂を揺さぶり、国民の政治システムへの信頼を回復させ、アメリカとその同盟国を勝利が保証されない歴史的戦争で奮起させた。
組織をまとめる力…部下を競わせたことによって、部下の間に無用の敵対心を生み出した。Executive Office of the President (EOP)を創設し、大統領として初めてスタッフからのハイレベルの助言を受けた。
政治的スキル…政権成立後最初の「100日」を議題設定、提案のタイミング、敗北を勝利に変えることなどの教訓として後世の大統領は得るだろう。国際問題に関して、彼の忍耐強い、手順を踏んだ西側諸国との同盟、およびそれらの国々を援助する方策としての「武器貸与」というアイデア。
ビジョン…政策に関する考え方は、概念的あるいは分析的というよりも直感的であった。国際問題について、彼のデモクラシーへの信念と勢力関係への直感は政権の政策に一貫性を与えたが、国内問題については、彼の立場は曖昧で矛盾していたため、政策はつぎはぎだった。
認知スタイル…知的な強さとして、高い記憶力、様々な事実やアイデアをまとめる能力。弱さとして、抽象的な思考、自らの政策の矛盾を見つける力を欠いていた。ケインズと会った印象として、「彼は政治経済学者というより、数学者だなあ…」。
感情的知性…彼が見たくない現実を無視する。

ハリー・S・トルーマン
公的コミュニケーション能力…スタッフの助言を公的な場での発言に転換することができなかった。原稿なしに演説できなかった。
組織をまとめる力…スタッフを鼓舞するのに長けていた。しかし、チームの人材登用はダメだった。
政治的スキル…孤立主義的な共和党が支配する議会でマーシャルプランを通した。
ビジョン…実務の人間として、環境要因に反応しているだけ。広い政策見通しを持たなかった。
認知スタイル…単純なカテゴリー分けによって情報を処理。演説でおかしな歴史的な比ゆを使った。
感情的知性…自己抑制的。

ドワイト・D・アイゼンハワー
公的コミュニケーション能力…すでに有名で、国民に自分を売り込む必要なく、大統領として歴史に名を残すことに関心がなかったため、国民を説得することに興味が無かった。
組織をまとめる力…組織を動かす経験が豊富にあり、大統領安全保障補佐官の前身となるポストを創設。また国家安全保障委員会を重視。制度的改革を多く成し遂げた。
政治的スキル…間接的なリーダーシップを発揮した。
ビジョン…明確な目標をもっていた。
認知スタイル…高い記憶力、豊富な語彙、明晰な表現。複雑な問題群に対する説得力のある全体としての判断を下す。
感情的知性…情熱の欠如、公的活動における感情からの自由。

ジョン・F・ケネディ
公的コミュニケーション能力…記者会見場での雄弁と知的でスタイリッシュなパフォーマンス。ただし、彼の雄弁がソ連に送るシグナルに不用心だった。
組織をまとめる力…チーム作りと、スタッフの鼓舞に長ける。しかしアイゼンハワーの整備した政策機構を破壊。
政治的スキル…彼自身は経験が無かったが、政治家一家の出身であり、スタッフに恵まれていた。
ビジョン…実は全体的なビジョンは持たなかった。
認知スタイル…読むのが早かった、学習能力も高い。
感情的知性…女好きで「感情の奴隷」。毎日を最後の一日のような意識で生きていた。

リンドン・B・ジョンソン
公的コミュニケーション能力…少人数の場での演説には長けていたが、テレビでは緊張。
組織をまとめる力…ケネディから、"a free form White House"を受け継ぎ、政策オプションを評価する厳密な制度的手続きを作る努力をしなかった。上院議員時代の経験生きなかった。
政治的スキル…国内政策で成果。
ビジョン…ビジョンが無いので政策が生きなかった。どのような結果を彼が実現しようとしているのか、その結果は可能なのか、コストに見合うのかについて語らなかった。「貧困との戦い」も失敗に終わる。
認知スタイル…情報を収集し、短期間で使う能力に長ける。
感情的知性…上記のような認知スタイルの長所を感情が壊す。病的な感情の振れ。

リチャード・M・ニクソン
公的コミュニケーション能力…演説は上手くないが、優秀なスピーチライターたちをかかえていた。
組織をまとめる力…側近にガードされる。側近も必要以上にニクソンと接触しない。
政治的スキル…鋭敏で熟練の政治家。対面的な交渉よりも、目標設定のゆえ。
ビジョン…実務の人間として、環境要因に反応しているだけ。広い政策見通しを持たなかった。
認知スタイル…頭脳明晰。だがそれが感情によって損なわれることも。
感情的知性…不自然なまでに自己抑制的。

ジェラルド・R・フォード
公的コミュニケーション能力…演説下手。失言。
組織をまとめる力…知的に構築されたスタッフの手続き。
政治的スキル…経験豊富な立法実務者。。
ビジョン…とりわけ国内政策の分野において、明確で一貫した政策をもっていた。それは政敵に彼の行動を予測させやすくした。
認知スタイル…高い知性、情報処理能力。
感情的知性…感情的な安定。

ジミー・カーター
公的コミュニケーション能力…就任当初はポピュリスト的なパフォーマンスで高い評価を受けたが、後に彼の政策における組織だった原則の欠如をあらわにする。
組織をまとめる力…統率力が欠けている。一人で仕事をしたがる。
政治的スキル…妥協を嫌う。非現実的な期待、議会と連携しない、処理能力を超える膨大な国内政策。
ビジョン…精神的な意味でビジョンは欠けていなかったが、現実的でなかった。彼の高邁な理想を反映する人権政策は中国など人権があまり守られていない国との外交を難しくした。
認知スタイル…知能は高いが、領域限定的。また問題の核心を掴む能力や、長期的目標を設定する能力に欠ける。
感情的知性…感受性が、政策遂行の邪魔になった。

ロナルド・レーガン
公的コミュニケーション能力…元俳優としての、優れた公的コミュニケーション能力。
組織をまとめる力…補佐官頼り。組織についての一般的なビジョンを欠く。
政治的スキル…政権の政策の方向性を明確に打ち出す。高い交渉力。
ビジョン…強い軍隊、低い税金、政府の市場への介入抑制、ソ連と対抗など明確なビジョン。
認知スタイル…核戦争の恐怖を理解していなかった。論理的思考能力には優れなかったが、対人関係、言葉、ボディランゲージの戦略的使用にに天賦の才があった。
感情的知性…落ち着きと自信。自己の内面を他人に見せない。

ジョージ・H・W・ブッシュ
公的コミュニケーション能力…記者会見での事実関係にかんするブリーフィングを自ら行った。しかし演説を通じて国民の人気を得たわけではなかった。
組織をまとめる力…アドバイザーを選ぶのに能力を発揮。
政治的スキル…外交で政治的スキルを示す。また議会との関係も重視した。だが戦略的(strategic)というより、戦術的(tactical)だった。
ビジョン…明確なビジョンは無い。
認知スタイル…高い知能。
感情的知性…バランスのとれた感情。

ビル・クリントン
公的コミュニケーション能力…セクハラ事件で自らを守り通すなど、優れたパブリック・コミュニケーター。でもレトリック不足。
組織をまとめる力…スタッフが勝手に動くのを許す。かといってスタッフに愛されない。
政治的スキル…スキルは高いが、それは政治的状況に応じて彼の政策を変える準備がいつでもできているということ。。
ビジョン…特定政策の理解には優れていたが、それを明確に定義されたビジョンに結び付けられなかった。難しい問題では単に真ん中をとった。いつでも政策を変更する気でいた。
認知スタイル…高い知性。難しい問題のバランスのとれた全体としての評価。
感情的知性…感情的欠点。

ジョージ・W・ブッシュ
公的コミュニケーション能力…力強い、訛りのある街頭演説のスタイルを確立し、それは彼の高い支持率に貢献した。そのレトリックは保守派には熱狂的に受け入れられたが、リベラル派に強い拒絶反応を起こさせた。
組織をまとめる力…最初のMBA大統領。強力なスタッフをそろえ、助言の多様性を歓迎したが、たまにそうしたスタッフの議論から外された。
政治的スキル…とりわけface-to-faceの政治に関して、生まれながらの政治家。また白黒はっきり区別して政治を見る。
ビジョン…ビジョンをもつが、借り物である場合も。
認知スタイル…テレビの深夜番組でよくバカにされるが、生まれもった十分な知性をもつことは明らかである。
感情的知性…元アル中だが、政権への悪影響は無し。

 こういう大統領個人の性格と能力に関する研究の価値は何か。それはおそらく研究の目的によるだろう。単に政権の性質を記述するのであれば、政権のトップである大統領の個性を調べるのに意義があるだろう。だが、もし目的がより一般的に、政権の意思決定あるいはパフォーマンスの予測というのならば、疑問が残る。政権のパフォーマンスを説明するには、他の要因が多すぎて果たして本当にパーソナリティが決定に影響を与えたのか、この研究だけでは、この問いに答えるのに不十分である。しかし、この本に述べられたパーソナリティに関する詳細な考察は、「パーソナリティ」という変数の各大統領ごとの内容(値)を明らかにすることによって後の実証研究の基礎史料となるだろう。つまりこの研究自体は、なんらかの理論を検証するわけではないが、政権のパフォーマンスに関する理論を検証する上での史料、あるいは理論を生み出すための基礎として有用である。
 著者がこの本で提示した6つの評価基準は、主に大統領の人間としての規範的役割と政治機構としての機能的役割に分けれらるものと思われる。つまり著者は、大統領は単なる政治的機関としてでなく、人間として道徳性でもって政治に影響を与えるものと想定している(それゆえ、パーソナリティの研究が重要となってくるのだろう)。公的コミュニケーション能力、組織をまとめる力、政治的スキル、認知スタイルは主に政治機関としての大統領の役割を表している一方で、ビジョンと感情的知性はそうした政治機関を動かす上での燃料のようなものである。いくらコミュニケーション能力が高くても、ビジョンが無ければ大統領として完全では無いし(例、クリントン)、いくらビジョンがあっても政治的スキルが低ければ、政策を実現できない(例:カーター)。
 また著者の個々の大統領に対する評価は、中立に見える一方で保守のバイアスがかかっているようにも思える。例えばジョンソン大統領に対するとりわけ評価が不当に低いように思われる。筆者は、ランキングをつけることに興味を示していないが、専門家調査の結果と照らし合わせると、ジョンソンは総じて高い位置にいる。筆者が高く評価するアイゼンハワーと少なくとも同等かそれ以上の評価を受けている。しかし、筆者はジョンソンを政策面で、「偉大な社会」や「貧困との戦い」は失敗だった、コストがかかったと結論付け、性格的な欠点も指摘する。その一方で、財政赤字を増やしたレーガンは批判せず、外交的成果だけを強調する。要するに外交重視の評価なのである(外交は総じて共和党の方が強いと言われている)。
 Gerring(2004)で示された分類からいうと、この著者の研究は単一ユニット(政権)内の空間的変化(大統領のパーソナリティ→政権のパフォーマンス)を検証するケーススタディUに分類されるものと思われる。しかしゲリングが主張しているケーススタディの目的としての、「理論の形成」という点からは、この役割を果たしていない。前述のとおり、政権の行動を説明する上での理論を作るためのパーソナリティ変数に関する史料は提供しているが。

9月5日(日)

John Gerring. 2004. "What Is a Case Study and What Is It Good for?" American Political Science Review, 98: 341-354

 この論文の目的はケーススタディの方法の意味を明確にし、その有用性を説明すること。ちなみに著者はどちらかというと、ケーススタディもやるし、クロスセクショナルもやる人。

 著者はケーススタディを「(同様の)ユニットのより大きなクラスを理解するための、一つのユニットに関する集中的な研究」("an intensive study of a single unit for the purpose of understanding a larger class of (similar) units")と定義する。質的か量的か、ケースの数が多いか少ないか、フィールドワークか否か、などはこのケーススタディの定義に関係が無い。ここで言うユニットとは、データセットの行列で言えば、各観測値を各マス、変数を列、ケースを行としたときの、ケースのグループあるいは、個々のケースである。したがってケースは、一つの国にもなりうるし、複数の州にもなり得る。
 経験的研究は因果関係に関する研究である。因果関係に関する全ての経験的証拠は本質的に共変的であり、関心の対象となる原因と結果は、共変することが発見されなければならない。発見される共変関係には空間的と時間的の二種類のパターンがあるが、この基準でもって、経験的研究を分類すると以下のようになる(TABLE1を日本語訳)。



この表において、ケースタディと分類されるのは3つあって、それぞれ(a)一つのユニットにおける時間的な共変が検証されるケーススタディT、(b)一つのユニットにおける空間的な共変が検証されるケーススタディU、(c)一つのユニットにおける空間的および時間的な共変が検証されるケーススタディVである。しかしこれらの分類はあくまで理念型であって、実際は曖昧な場合が多い。
 こうした単一ユニットに関する理念型としてのケーススタディは、ユニット間の研究と比べて、以下のような短所と長所をもつ(TABLE2を日本語訳)。



「推論のタイプ」について、ケーススタディは"Why"の質問よりも"What?"や"How?"の質問に答えるのに適している。「命題の視野」について、ケーススタディは、因果関係にかんする命題を広く検証できないが、より深く検証できる。また推論の及ぶ範囲の境界はあいまいである。「ユニットの均質性」について、ケーススタディの場合、ユニット内の要因については、同じユニットに属するものとして高い比較可能性を有するが、そのケースにおいて明らかになった因果関係がより大きな未研究なユニット群にとっても同様に真であるという保障は無い。「因果的洞察」について、ケーススタディは特定の原因と結果の関係についての経験的証拠を検証することによって、因果関係のメカニズムを解明する。ケース横断的な研究はそれに対して、ケースごとの平均をとることで、原因が結果に与える効果の大きさを推定する。「因果関係」について、ケーススタディは実際に起こった事例の研究なので、一定の背景となる環境が与えられたとき、そこに見出された因果関係は常に真である(決定的である)。「研究の戦略」について、ケーススタディは理論を検証するよりも、理論すなわち説明を作り出すのに適している。「有用なバラツキ」について、関心の対象となるバラツキは、ケーススタディの場合、その一個のケースにおいてしか見出せない。こうしたケーススタディの手法はどのような存在論(「どのように世界が動いているか」に関する見方)に依拠しているか。社会現象には時間と空間を越えた一定の法則性があるのか、それとも全てのユニットは独自のものなのか、それは不確定である。
 ケーススタディをとるか、非ケーススタディをとるかの選択は、論理の問題(因果に関する質問の論理)に興味があるのか、実証の問題(経験的世界の検証)に興味があるかの選択である。両者はその意味で相互補完的であり、対立するものではない。

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